人生という物語を生きる

もうすぐ年が変わりますね。今、毎年恒例の年越しそばをいただいたところです。人生はそばのように細く長く生きるという意味で食べる、ということらしいですが…。

本当のところは定かではありませんし、私の場合はとりあえず、麺類が大好物なので食べ続けてきたということでしかありません。

どういうわけか、長寿つまり長生きというのはめでたいということになっていますね。せっかく、生まれてきてこの人生という物語を堪能するのですから、短いよりも長いほうを好ましく思うのも、分からないでもありません。

けれども、長くても短くても人生は人生です。映画を見に行って、短編だから長編よりも価値が低いなどということはないのと同じです。

そしてもっと言えば、長短だけでなく、その内容がどんな物語であったとしても、いい悪いということはないのではないかと思います。

ラブストーリーがあれば、戦争の物語もあるでしょう。悲劇があれば、喜劇もあります。まったくドラマチックではない人生であっても、それもありです。

人生でどう生きたかということも、何をしたかという実績も、それもまた人生の一部であって、さまざまあっていいのでしょう。

敢えて言えば、ただ一つだけ、人生という物語の中に生きて、それを本当の意味で物語であると分かること、その物語の中の主人公を演じているのは本当の自分ではないということ、そのことに気づくことこそが、大いなる喜びなのではないかと思うのです。

みなさん、よいお正月をお過ごし下さい。今年も沢山の感謝を込めて…。