自分がいるという「ふり」

自分という人物はいない、ということに気づかされたとき、本当に驚きました。でもその裏で、実はそれを知っていたという感覚もありました。

いつから分かっていたのかは分かりませんが、何かそのあたりのことについて、モヤ~っとぼやかしながら生きてきたように思うのです。

私たちは、いろんな「ふり」を上手にしながら何食わぬ顔で毎日を生活しているのですね。この地球上にいるとされる70億人の人類は、個別の意識を持っていると思われています。

でももうそんな「ふり」をしなくてもいいのかなと思っています。地球上には誰もいないのですから。個別の意識ではなくて、個別の思考が在るだけです。

それもどこにあるかなんて、分かりません。この自分がいないのですから、あたかも意志を持って目の前にいるように見えるあなたもいないのです。

誰一人いません。ただそれが起きているだけなのですから。在るのは、唯一無二のこの在るという気づきだけ。

この人生も、死後の世界も、飛来するUFOや宇宙人も、天使であれ天狗であれ、予知能力からテレパシー、あらゆる一切合財は源泉から流れ出た結果。

意志も目的も、意味も価値も、罪も全部がただの思考による作り物に過ぎません。その証拠に、すべては一過性でしかないのです。

自分がいるという「ふり」をしているという「ふり」をしながら、この人生をできるだけエンジョイしようじゃありませんか!