自然を超越する可能性

誰もが素晴らしい大自然の姿を目の前にすれば、感動したり、心を打たれてしばし言葉を失うような経験をするはずです。それは、取りも直さず私たち自身がその大自然の一部だからなのでしょう。

地球上に存在するあらゆる無生物も生物も、勿論大自然の一部です。どんな植物であっても、その大自然の法則の元に、淡々と生きているのです。

動物にしてもそうですね。動物の場合は、本能と呼ばれる自然のメカニズムを使って、その法則の元に生きているわけです。勿論、人間にも他の動物同様に、それなりの本能があるのは誰もが知っています。

ところが、実は人間だけが大自然の一部でありながらも、その大自然から逸脱することができるのです。そこが人間という存在の面白いところなのですが…。

私たちの身体は自然の一部ですし、私たちのマインドも自然の一部です。そのマインドの中には凄まじい思考が渦まいているのですが、その思考もこの自然界の一部なのです。

けれども、その思考の中で自分がいるという想いが作られてしまったのです。その想いは自然界の一部ですが、その内容を単なるイメージではなくて、事実であるかのように信じ込んでしまったのです。

つまりそれがマインドの中心を占めている自我(エゴ)なのです。自我はイメージなので、実在するものではないのですが、それが働くことで大自然よりも低レベルに成り下がることも、それを超越する可能性もあるのです。

他の動物にはない高度な言葉を発明することで、複雑で込み入った思考を駆使することができるようになった人間は、目的や、価値、意義、善悪、そういったものを作り出したのです。

それは自然界にはないものですね。そのために、自然界の法則からはかけ離れた殺し合いをするようになったり、他の動物にはない深刻さや苦しみといったものを生み出してしまったのです。

これはどう考えても、自然界にはない地獄の中にいるようなものです。その一方で、人間だけが自分の本能に逆らって、恐怖から逃げないという選択をすることもできるのです。

そして、その結果いずれはすべての人が、この大自然、この宇宙が自己の内側にあるということに気づくのです。この神羅万象が立ち上がってくる源としての自己の本質に気づくことになるのでしょうね。

人間として生まれてきてよかったです。