知の道と愛の道

光明を得るための道として、互いに対極とも言える二つの道があると言われています。一つは、知の道であり、もう一つは愛の道です。

知の道とは、見ること、深く探求していくことによって、自ら自我の非存在さを見破ることによって、究極の境地へと到達する方法です。

それは、全身全霊をあげて徹底的にマインドの奥へと意識を向けていくことです。勿論、それは誰かと行動を共にしたとしても、本質的には孤独な作業となるのです。

そのために、様々な瞑想法がいにしえより考案されてきたのです。私たちが修行と言う言葉から連想するのは、この知の道のことですね。

そして、もう一つの道である愛の道とは、献身的に相手を愛することによって、究極へと到達する方法です。愛するものと愛されるものの二人がいながらにして、二人が一つになるということ。

知の道では、二人というものが消え失せて完全なる不二の世界しか残らないのに対して、愛の道ではどこまでも二人の存在があるのです。

相手を愛するあまりに、自我が自動的に稀薄になってゆき、結局はその非存在さを見破ることなしに、自我から解放されていく道なのです。

人は結局どちらかの道を進むことになるのですが、両方を同時に進むことは不可能なことです。なぜなら、両者の道はあまりにも真逆だからです。

自分は一体どちらの道を選ぶべきなのか、と迷うかもしれません。一般的には、男性性が優位であれば知の道が適しており、女性性が優位の人は愛の道を選ぶことになるのでしょう。

けれども、それはあくまでも一般論でしかありません。特に勘違いしやすいのは、あまりにも巷で瞑想がもてはやされているために、多くの人が知の道が自分にも適してると思ってしまうことです。

あなたの中の愛を再発見することで、愛の道が突然開けてくる可能性だって多いにあるということを忘れないほうがいいと思います。