東日本を襲ったあの未曾有の大災害である3.11の後、日本人の意識が何となく変化したなあと感じているのは、私だけではないはずです。
起こるはずのない大事故が原発に起こり、誰もがあの災害は他人事ではないということを感じたからなのかもしれません。
私たちは、気づかぬうちに日頃は安全な場所で生活していると思い込んでいるのです。本当は、安全な生というものはありません。
いつでも危険と隣り合わせなのです。いつも死が生のすぐ近くにあるという事実を、自分のこととして体験することができたのだと思います。
極端な出来事、体験したくない惨(むご)たらしいこと、そういった災難というものは、いつも大切な気づきを与えてくれるのです。
誰もが、できることならいやなことに遭遇したくない、酷い目には遭いたくないと思っているのですが、起きることは起きるという意識をより養うことが必要なのでしょう。
素敵な osho の言葉を見つけましたので、プレゼントします…
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存在は、どんな個人よりも賢い。なぜなら、個人が持っているのは小さな意識だからだ。たとえ光明を得ていたとしても、彼はやはり広大な存在の海の中のほんの一滴に過ぎない。
だから、存在が感じていることが正しいのだ。もし存在がアルヒラジ・マンスールが殺されるべきだと感じているのだとしたら、それが正しい。
もし存在が、イエスは十字架に架けられるべきだと感じているのだとしたら、それが正しいのだ。
信頼とは、何が起ころうとも、喜びに満ち、いやいやながらではなく、しぶしぶではなく――そうだったら、要点の全てを見逃している――そうではなく、踊りながら、歌と共に、笑いと共に、愛を持って、起こることと共にあるということだ。起こることは全て、何かのためだ。
存在には間違えようがない。もし存在が私たちの願望を満たさないのなら、それはただ、私たちの願望が間違っていたということだ。
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