何かを否定する本当の理由

私たちは「否定」の世界で生きています。どんなものでも人でも、否定することがかなり好きなのです。互いに否定しあって一体何がそれほど面白いのか、考えたことありますか?

イエスというより、ノーと言った方が、相手に対して何だか優位に立ったような気がしませんかね?どうもイエスばかり言ってると、相手に支配されているような気になるというのもありそうです。

イエスよりも、ノーの方が負けてないというのか、自分をそれだけ守れたような気がするのです。何かを否定する本当の理由は、物心つく前の本当に幼いころに、周囲から否定されたからなのです。

なぜ幼い子供を親は否定してしまうのかと言えば、彼らも幼い頃にその親などから否定されたことがあるからです。周囲からの否定は、そのまま否定的な自己イメージが作られることへと繋がるのです。

その否定的な自己イメージを丸ごと信じてしまえば、その人は自分を肯定しようと頑張ることになるのです。けれども、否定的な自己イメージにさからって、単に自分を肯定することは至難の業です。

そのために、回りくどいやり方ではあるのですが、相手を否定することで自動的に自分を肯定しようとするのです。つまり、何かを否定する本当の目的とは、自分を肯定するがためだったというわけです。

そのことにしっかりと気づくことが先決ですね。そして、理不尽に作られてしまった否定的な自己イメージを客観視することで、自己イメージへの自己同化から抜けるのです。

そしてどんな自分であろうとも、あるがままを受け止めることができれば、わざわざ何かを否定しようとする原動力そのものが消えて行くことになるのですね。

もしもあなたが、誰かや何かを否定せずにはいられないのなら、否定的な自己イメージから解放されるように努力することが最も得策なのです。

間違っても道徳的な自分を目指そうなどと画策しないで下さいね。