存在を信頼する

誰でも、できることなら都合のいいこと、嬉しいこと、幸運に恵まれたと感じられるようなことが起きて欲しいと思っています。そして、そういうことが起きたら自分は幸せなのだと感じるのです。

ところが、残念なことに、人生とはそうそう願い通りには行かないものですね。そればかりか、都合の悪いこと、辛く苦しいこと、いやなこと、不運だなと感じるようなこともやっぱり起きてきます。

ところで、自分のこれまでのそうした経験をあるがままに見るときに、都合のいいことと都合の悪いことで、本当に大切な気づきを得るきっかけをくれたのは、一体どちらなのかを考えてみるのです。

そうすると、驚いたことに、都合のいいことが起きているときは、ただそれが過ぎ去るだけで、自分にはこれといったものが残ることはあまりないと分かります。

一方、都合の悪い出来事、もう二度とあんな目には遭いたくないと思えるようなことは、自分がそのことから逃げないでいた場合には、必ず何かの気づきを得ることができたのです。

私にとってそれが最も顕著だったことがあるのですが、それは15年前に癌を患ったことです。それが発覚したときには、人生で最悪の事態になってしまったと考えたはずです。

けれども、自分の命がかかっていると思うと、人は追い詰められた分だけ気づきを得ることができるのですね。それがきっかけで、今の仕事を始めることができたのです。

人は嬉しくて有頂天になっている間には、貴重な気づきを逃してしまいます。その反面、もがいて苦しんで、なぜこんなことになってしまったのかと天を恨んだりしても、そこから逃げずにいることができるなら、必ず光が見えてきます。

だから人生は捨てたものではないのですね。でもでも、やっぱりもう二度と辛い目には遭いたくないと思ってしまうのは、人情というものですね。

今、出口が見えなくて辛くて絶望していると感じているあなた、どんな事態であろうとそれは一過性のものであるということと、いずれはそこにこそ大きな気づきのチャンスがあるのだということを忘れずにいて下さい。

存在を信頼するなら、あなたはその瞬間に苦しみから解放されるのですから。