可哀想な親とは対等になれない

幼い子供は、親に激しく叱られたら怖いのです。叱るというよりも、親自身の怒りをぶつけられてしまうために、そのエネルギーを恐れてしまうのです。

恐怖を感じれば、子供は自由な自己表現、感情表現を抑えるようになるはずですね。そうやって、親と子の間のエネルギーの流れは一方通行になってしまうのです。

ここまでは、誰もがごく普通に気づくことですが、実はその先には隠された真実があるのです。それは、親の怒りを恐れている子供は、同時に親を可哀想な人だと見ているということ。

なぜなら、子供は不当に自分へ怒りをぶつける親の心のその奥に、つまり怒りのその奥に惨めさを隠した幼い子供のエネルギーを感じ取ってしまうからです。

そもそも怒りというのは、惨めさを隠すために発生させる感情だからです。子供は親の心の中に潜んでいる、その惨めさを見抜いてしまうのです。

そのために、ある程度成長した子供は、それほど恐怖がなくなってきたとしても、今度は親を可哀想と思うために、結局自己表現ができずにいるということが起きるのです。

可哀想という思いは、恐怖よりもより強い力で子供の自己表現や怒りを抑えることになるからです。そして、可哀想は延々と続くことになるのです。

親が可哀想でなくならない限り、親子が対等にぶつかり合うことは難しくなってしまいます。もしもあなたの心の中に、こうした感情があるなら、それに負けないことです。

自分一人でそれが無理であれば、専門家のセッションを受けることをお勧めします。