瞑想は心地いい

普段クルマを運転している時には、充分に慣れた人なら、クルマがまるで自分の手足のように感じるでしょうね。それはとても気持ちのいいものです。

ところが、ある一定の速度を超えて、更にそれを上回るような相当なスピードを出して行くと、クルマの態度が一変してしまうことに気づくはずです。

普段の従順なクルマとは打って変わって、もうお前の指図通りにはならないよと主張してきます。これは、経験したことがなければ分からないかもしれません(経験しない方がいい!)。

瞑想中にもそれと同じような感覚がやってくることがあります。普段は、自分の采配で人生を歩んでいる感覚があるはずなのに、それがどうにもならないという感覚がやってくるのです。

自分はとても小さくて無力である反面、生はとてつもなく巨大でとてもその力には対抗できないという感覚。自分はこの生のほんの一部でしかなかったと…。

エゴにとっては少々屈辱的なのですが、一方ではこれ以上の安らぎもないのです。生に対して、すべてを委ねてしまうしかないのですから。

だから瞑想は心地いいのですね。ただし、その心地よさも実はしっかりとエゴのものなのです。瞑想している限り、エゴは健在なのですから。