自立を超えた自消?

子供のうちは、何とか自立することで立派な大人になろうと思うものですね。ところが、この自立と言っても実は大きく二種類に分類されるのです。

男性が特に要求されるものとして、経済的自立というのがあります。自分の食いぶちは、自分で稼げというものですね。最近は女性にも要求されるようになってきたのかもしれませんが。

あとは、内面的なものである精神的自立というのもあります。自分の足でしっかり立って、誰かに依存せずにいられるようになること。

後者の精神的自立というのは、すごく奥が深いものだと思います。たとえば、社会の中で立派な業績を上げて、恥ずかしくない社会人として生きる。

あるいは、深く内側を見つめて行って、自分は「ひとり」であることを見ること。そして、それは決して孤独ではないことに気づいていること。

この辺りになってくると、自立という言葉よりも本当の意味での成長という言葉のほうが適切なのかもしれませんね。社会の中にいて、社会に染まらずに超然としていること。

いろいろな表現ができますが、世俗にまみれた自立よりも、超然とした自立の方が感じいいと思いませんか?きっと、自立の最終形は、自が消えていくことです。

だから、自立ならぬ自消なのかもしれません。