身体の中に生きる想像上の「私」

いつ頃からのことなのか、気が付くと自分はこの身体の中に住んでいるということになっていたのですね。そして、それは自分だけではなく、家族も友人もみんな同じようにその身体の中に住んでいる。

身体だけが自分だとは決して感じてはいないものの、あまりにもずっと身体と一緒の生活をしているために、身体がまるで自分の一部のようになってしまったのです。

それでもじっくり感じてみれば、自分は身体の中にいるという感覚は動かし難い。けれども、いざ身体の中のどこにいるのだろうと突き詰めれば、どこにもいないことは明々白々ですね。

ただ、この身体の中に住んでいるという感覚を無視することはできません。だから、それはそのように感じているのだとして、一旦脇へ置くことにするのです。

そうして、きょう一日の自分の生活を振り返ってみると、決意が自分からやってきたというのは間違いで、それはどこからともなくやってきたものだと気づくのです。

きょうの生活で、自分が身体の中にいるという証明にはならないと気づくことになるのです。身体の中だろうが、そのほかのどこにも決して見つけることができない自分。

だとしたら、一番素直なのは、自分はどこにもいないということ。身体の中にいるという思考、妄想、想像があまりにも頑なために、それが真実だと思っているだけなのですね。

そしてもっともいいのは、いるとかいないということの思考を持たないことです。