私たちは、肉体と自分を同一化し、感情と自分も同一化して、更に思考と自分をも同一化しています。表面的には、そうではないと感じていても、奥深いところではその同一化は残っているのです。
今日一日の自分を振り返って思い出そうとしたら、自分の肉体が何をしたかということに目が向いていることに気づくはずなのです。
肉体ではない自分の一日を思い出そうとしたら、一体何を思い出すことができるでしょうか?あの時の自分の気持ちだったり、誰かに何かを言われたときの感情だったり。
ここでも、気持ちや感情と同一化していることが分かりますね。あの時には、こういうことを考えていたと思い出すかもしれません。
それが思考との同一化に違いありません。誰かに、「あなたの考えは間違っている!」と言われたら、多くの人は自分の思考が間違っているとは受け取りません。
その代わりに、自分は間違っていると思われたと感じるはずです。自分の考えというよりも、自分そのものが否定されたと受け取ってしまいがちです。
こうして、思考との同一化を見破ることができます。そもそも、如何なるものとも同一化しないでいるときの自分とは何でしょうか?私たちはそれを知らずに生きているのです。
つまり、誰もが自分の本性を知らないまま、あたかも自分のことを知っているかのように騙しながら、平静を装って生きているのです。
それが私たちの最も奥深くに燻る不安感であり、不満感でもあるのです。自分のことを知らずに、どうやって満ち足りることなどできるでしょうか?不可能なことですね。
まずは、自分のことは何も知らないのだということをしっかり認めることから始める必要があるのです。