どこにでもある防衛に気づく

 

モ○○リングというバラエティ番組の中で、もしも義母(奥様のお母さま)が作った手料理が激マズだったら、ご主人はどう反応するか?という内容のドッキリをやっていました。

義母が腕によりをかけて作ったという手料理が、ものすごく酸っぱかったり、あり得ないくらいに苦かったりするのを正直に言うかどうかというのを見るわけです。

義理の母だということで、遠慮するはずのご主人が、義母を悲しませると知りつつ本当のことが言えるのか、それともウソのコメントを言って喜ばそうとするのか。

結果は見事にウソをつき通そうとしたのです。普通だったら、絶対に吐き出すと思われるくらいにマズイ料理なのに、無理やり飲み込んで、おかわりまでしようとして…。

勿論、最後にはネタばらしをするのですが、そのときに義母の人が言った一言が本当だろうかと疑ってしまうものでした。

それは、「私が作った料理だから、ウソでも美味しいと言ってくれて、嬉しい!」というような内容だったのです。これって、本当だろうかと疑ってしまいますね。

人間て、ウソと分かっていても、自分にとって都合のいいことを言ってもらいたいということなのか?それとも、自分のために相手が気を使って我慢までしてくれたことを喜んでいるのか?

そして、ご主人がウソをつく本当の理由は、優しさではなくて防衛だということを気付かないのだろうかと思ってしまうのです。

どんな防衛かというと、相手をいやな気持にさせてしまい、罪悪感が来ることを避けるという防衛なのです。自分さえ我慢しておけば、丸く収まるというものです。誰もが経験してるはずですね。

この防衛は、「可哀想に負ける」と呼んでいるのですが、これが度重なることで自己犠牲を積むことになるのです。きっとごく普通の家庭の風景なのですが、ご主人も義母もどちらも自己防衛が止まらないのです。

このような人間関係を続けていけば、いつかは一緒にいたくないという結果がやってくるのです。決して、親しい関係を築くことはできなくなるはずです。

日常のどこにでも潜んでいる防衛に気づくことが、大切なことなのですね。