シンプルな生き方の先にあるもの

幼い子というのは単純ですね。嬉しければ笑い、悲しければ大泣きし、怒るときには全身で怒りを表現するのですから。人生経験がまだ少ないから単純でいられると思うなら、それは当たっていません。

シンプルなのは、一重に無邪気で無防備だからなのです。人は様々な経験を積んでいくことで、自己防衛が深くなってゆき、それだけマインドの病みも深くなり、苦しみも増すのです。

自己防衛の深さに比例して、生き方も複雑になっていくはずなのです。なぜなら、防衛のためには、必ず過度の思考を使うようになるからです。

思考は、物事を複雑に捉えることで活動するようにできています。逆にあまりにシンプルなことは、思考することもできなくなってしまうのです。

もしも大人になっても防衛が小さいままであれば、その人の生き方はとてもシンプルなはずです。会いたい人に会い、会いたくない人には会わない。

行きたいところに行き、行きたくないところには行かない。言いたいことを言い、言いたくないことは言わない。やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。

なぜこんなシンプルなことができないのかと言えば、究極的には防衛がその原因だと見抜くことです。不安や恐怖や孤独から自分を守って安心しようとすれば、決してシンプルではいられなくなっていくのです。

そして、シンプルな生き方、シンプルな選択が最後ではありません。まだその先があるのですが、それはシンプルな選択すら必要なくなった状態です。

これは、たとえ幼い子でもできません。なぜなら、こうなるためには無意識であってはならないからです。非常に意識的な状態でいることによってのみ、ただそうあるがままに在ることができるようになるからです。