何か質問をされて、ただ黙っているだけなら相手に変な奴と思われてしまうかもしれませんね。イエスかノーか答えてよと言われてしまうかもしれません。
実際イエスでもノーでもないと答えたら、きっと優柔不断な人物と思われてしまうでしょう。人はいつもどちらかに決めたがるものなのです。
好きなのか嫌いなのか、正しいと思っているのか間違っていると思うのか、信じるのか信じないのか、どちらかはっきりさせたいのは、実のところ思考の特徴なのです。
思考は本来、論理的なものなので曖昧なものが苦手なのです。つまり思考こそが、どちらかにはっきりさせないと次に進まないのです。
けれども科学の進歩とともに解明されたのは、究極まで追い詰めるとあらゆるものは曖昧だということ。たとえば電子はあそこにあるとか、ここにあるということを確率でしか表現できないのです。
この宇宙の一番根っこである量子はすべて、その曖昧さ、不確実性の中にあるのです。ということは、この宇宙の神秘とうまくやっていくためには、「どちらでもない」でいることが必要なのです。
この「どちらでもない」こそが、仏陀が言う中道という生き方なのですね。それが非二元、今流行りの表現を使えばノンデュアリティなのです。