相手への期待が自分の首を絞める

誰だって嫌われるよりは好かれたい、愛されたいと思っていますね。でも残念なことに、相手の心をコントロールすることは不可能ですので、そこはどうすることもできません。

ただし、相手が自分のことをどう思っているのかということについて、すごく気になる人と、それほど気にならないという人がいるのも事実です。この違いはどこからくるのでしょう?

それは相手への期待の度合いが違うということです。好かれたいという期待が強ければ、それだけ相手の気持ちを気にすることになるのは当然のことです。逆に期待が小さければ、気になりません。

「どうでもいいこと=気にならない 」と言ってもいいのですから。10代〜20代の若い女性が、彼氏に向かって、私のこと好きなの?好きならそれをもっとわからせてよ!って言ってる姿をイメージできますね。

それはまさしく、好きと思われているという実感が欲しくて思わず出た言葉なのでしょう。その実感を欲しがるのは、それだけ期待が大きいからなのです。それなら今度は、なぜ期待が大きいのか?

愛されてる実感が乏しいのは、マインドの奥深くに、「私は愛されるに値しない存在だ」という思い込みが隠されているからです。いくら愛してると言われても、少し時間が経つと猜疑心が顔を出してくるのは、そういう理由です。

そしてまた明日も同じ質問をしなければならないことになるのです。実際にそういう質問をしなくても、猜疑心がある限りは同じことです。その状態が長く続くと精神的に参ってしまい、結果別れることになったりします。

本当は相手の問題ではないのですから、相手を質問責めにしたところで何の解決にもなりません。幼い頃の存在価値の欠如に気づいて、そこをしっかり癒していくことが必要ですね。