受容すれば癒されていく

癒しというのは、とてもシンプルに表現できると思っているのですが、それはどれだけありのままの自分を受容できるか?ということです。

幼い頃に、自分のままでは到底生きていくことができないと思い込んでしまうと、何とかして惨めではない立派な自分になろうとして躍起になるのです。

その頑張りと努力は社会の中ではある程度は成果を出すことも可能なのですが、それでも作り上げた自分のままで満足することなどできるはずがありません。

結局、どこかでそんな無理が続かなくなってしまい、そこから癒しが開始されるということも多いのかもしれませんね。

自分を受容するとは、自己否定ばかりしていたことを自己肯定へと変化させることだと勘違いしてしまうこともあるでしょう。

けれども、自己否定も自己肯定もどちらも受容とは程遠いのです。否定も肯定もなくなった時に初めて、受容が起こるのですから。

社会的にはとても認めてもらえそうにない自分のことも受容するし、受容なんてできないという自分も受容するのです。

人とは違う自分、人よりも劣っていると感じる自分、人生がうまくいっていないと思っている自分、そんな自分も丸ごとひっくるめて受容するのです。

破れかぶれで受容するのです。そんなことを続けているうちに気がついたら、肩の力が抜けてリラックスしている自分にびっくりするかもしれません。