自己防衛は取り引き

すべての生物に防衛本能というものがセットされています。それは勿論種を存続させるためですね。

そして、その中でも人間だけが心理的防衛をすることができるのです。これは人間に与えられた特権かもしれません。

けれども、このブログでも幾度となく繰り返しお伝えしている通り、心理的自己防衛は程度の差こそあれ、大抵は自己犠牲を伴うのです。

その理由は、とてもシンプルに表現すれば「取り引き」をしているからに違いありません。

安心を手に入れようとする代わりに、自分に我慢を強いるのです。安心と苦悩の取り引きをしているのです。

たとえば、相手に「ノー」を言ったら、相手を傷つけることになるし、嫌われるかもしれないので、安心するために「イエス」というのです。

そして気が進まないことを我慢して相手の言いなりになるということです。これが結果として自分を傷つけることになるのです。

一度や二度なら何てこともないのですが、何度も繰り返されていくうちに自己犠牲が蓄積していき、怒りとなっていずれ人生に悪影響をもたらすのです。

さらに自己犠牲によってようやく手に入れたつもりの安心なのですが、それはあっという間に消えてしまう幻のようなものなのです。

また明日になったら、不安から人生がスタートするので、この自己防衛の生活は終わることがありません。

自分が日頃どんな自己防衛をしているのかに注意を払って、リアルタイムで気づけるようにしていく必要があるのです。

辛く苦しい人生をもう辞めたいと思うなら、その苦しみの方にばかり目を奪われてなくて、その原因となる自己防衛を捕まえることです。

そこからようやく少しずつ、防衛を小さくしていく道筋が見えてくるのです。そのプロセス全体を癒しと呼ぶのですね。