ただ在ることで充分

若い頃というのは、自分の可能性をできる限り伸ばして何者かになろうと頑張るのです。それは社会的にはとても素晴らしいことだと言えます。

少しでも努力して、今の自分よりもより高いところへと向上しようとするのですから。それを向上心と呼びますね。

そうした日々の活動の中に、防衛の要素が入り込まなければ理想的ですが、それがなかなか難しいのです。

残念ながら多くの人にとっての向上心というのは、防衛の要素が多分に含まれてしまうので、何者かになろうとする毎日に自己犠牲が混ざってしまうのです。

自我の観点からではなく、真実の観点から見るなら、「成る」あるいは「成ろうとする」ことは真実から遠のくことなのです。

「成る」ことよりも「在る」ことに意識を向けることができるなら、向上心よりも本質的な何かに気づくことができるのです。

自我にとっての人生とは「何か」になることですが、十分に意識的であるならそんな必要はないと気づくのです。

在るがままの自己に意識を向け続けることで、ただ在ることで充分だということがわかるようになるのですね。