揺るぎない真理への眼差し

子供の頃は、神様という言葉はもちろん知ってはいたのですが、これといった興味を持ったこともなかったのです。

それがいつか、あらゆる疑問に答えてくれる存在が一人いてくれたらいいのにという願望のようなものが生まれたのですね。

それで他の人もみんな同じように思っているはずだから、その存在のことを神様と呼んでいるのではないかと考えたのです。

全知全能の神という言葉があるくらいだから、きっと人類に共通する願望としての神という概念なのだろうと。

それからしばらくして、そろそろ大人になろうとしている頃だったと思うのですが、外側の世界にそんな全知全能の神のような存在がいるなんて、子供騙しだと感じるようになったのですね。

それでふと、神は自分の内側にこそいるのではないかという感覚がどこからともなくやってきたのです。

そうなったら、外側に広がる世界よりも自分の内側のほうにより強い興味を持つようになるのも当然のこと。

セラピストという仕事も手伝って、次第に内面に向けての自己探究のようなことが始まったのです。

私の中では、もう神という概念は全くと言っていいくらい陳腐なものとなってしまいましたが、代わりにそれは真理とか真実という言葉に置き換わったのです。

そしてその正体は自分自身の本質であるというとても明快で、揺るぎない感覚のところまでやってきた感じがします。

その感覚がベースにいつもあることで、生きることがとても気楽になったなあという感じがしていますね。