年齢を重ねてくると、若い頃には感じることのできなかった感覚がやってくることがあります。
それはややぼんやりとしたものではあるのですが、もう自分の視野の中に死というものが入り込んでくるということです。
死の影がちらついてくるおかげで、自分を見ることがより自然なこととして受け入れられるようになるのです。
まだ若い頃というのは、実現していない夢や希望がたくさんあるので、人生の主役、当事者として生きている必要があるのです。
そうなると、自分を見る、観照するというのは難易度が高いのです。瞑想するのも、より良い自分になって目標を達成するためなのです。
これ自体は決して悪いことではないのですが、本来瞑想というのは自分のマインドから離れるための練習なのです。
見ること、観照することも同様にマインドから離れるためなのです。こうしたことが、今日一日生きることのど真ん中に据えられるのも、年齢が関係しているかもしれません。
マインドを観照し続けることで、ちらついている死が実際にやってくるのはマインドに対してだと気づくのです。
観照者としての自己には、死が訪れることはないのでしょうね。