日常の快不快や人生の幸不幸を全て忘れて、ひたすら自己留意、自己想起に専念することを継続したらどうなるのか?
そう思うことはよくあるのですが、そこはどっこいなかなか実際には実践が伴わずに、ぐうたらした毎日が続いています。
きっとそれほど強い自覚はないのですが、本当は強烈にブレーキがかかっているに違いありません。
時間もお金も労力も何一つ必要ないのですから、今この瞬間からもできることなのに、なかなか本気になることができないのは恐怖があるからなのでしょうね。
以前似たようなことを実践し出してしばらくした頃に、まれに見る身体の不調がやってきてびっくりしたことがありました。
それからというもの、そこそこ無理のない程度にしかやらないようになったのも大きいかも知れないですね。
自分という実体はないのだと気づいてしまったらどうしようという、思考が作り上げた自分の恐怖なのでしょう。何だそれ?って感じですよね。
この人生にもっと絶望して、もううんざりだという気持ちがやってきたら本気になれるのかなあとぼんやり思っています。