欲望はなくならない

ほとんど毎日のように通っているスポーツクラブの更衣室、沢山並んでいるロッカーの中で、自分はいつも同じロッカーを使うのです。

習慣になってしまっているからなのか、何も考えずに自動的に身体が動いていつもの番号のロッカーの前に来てしまいます。

不思議なもので、ごく稀に他の誰かにそのロッカーを使われてしまっていると、何だかとても嫌な感じにさえなるのです。

ロッカーは早いもの勝ちで自由に使っていいので、そりゃ誰かが使ってしまっていても何の不思議もないのです。

けれども、心のどこかで納得していない自分がいて、本当に笑ってしまいます。きっと勝手にこれは自分のロッカーだと思い違いしてしまっているのでしょうね。

これもある種の所有欲の表れなのかなと思っています。自我というのは、自分のものだと思いたい習性があるのですね。

それ以外にも人間には無数と言ってもいいくらいの欲望があります。仏教では108つの煩悩があると言うくらいですから。

それを一つひとつ克服することは絶対に不可能なことですね。なぜなら、「私」という自我は欲望でできていると言ってもいいのですから。

それよりも、「私」はいないという真理に気づくことの方が、遥かに要領のいいやり方ではないかと思います。

「私」さえいなければ、欲望を落とす必要もないのですから。「私」がいないと気づけば、あらゆる苦しみは消えてしまうはずですね。