今も残っているのかどうかは知りませんが、私が学生の頃は理系と文系というように分かれていました。
人をそんなふうに分けるなんて、あまりにも雑過ぎるとは思ったのですが、世の中がそんな具合だったので、私自身も自分は理系なのだと思っていました。
理系だからなのか、論理的な考え方がやっぱり性に合っていると感じていて、逆に非論理的な事は苦手だったのです。
過去形で書きましたが、当然今もその傾向はしっかりと残っています。けれども、それよりも自分の中で急成長してきてしまったのが、非論理の魅力。
よく見てみればわかることですが、自然というのは非論理的であるし、真理などというのは間違いなく非論理的だと言えるのです。
論理的というのは思考で解釈できることを表し、非論理的とは思考では解釈できないこと、あるいは否定的に捉えると訳の分からないこと、となるのです。
私たちのマインドが思考によるプロセスであるからこそ、論理的なことを好む傾向があるのですね。
科学者は、論理的にこの宇宙の統一理論を見つけようと頑張っています。けれども、私に言わせればそれは所詮無駄なことのように思えるのです。
すでに量子力学の世界では、非論理的だと思われることが多発しています。どう考えても辻褄が合わないのだけれど、宇宙はそんなことはお構いなしなのです。
真理とは決して思考で解釈できるようなものではなく、だからこそ魅力があるのです。それを神秘と呼べばいいのかもしれませんね。