自我の孤独を認める

私たちの根っこにある恐怖とは、孤独だということです。人は、独りで生まれてきて、また独りで死んでいくのですから。

その誕生と死の間で、自分は孤独ではないというごまかしをしつつ生きているのが私たちの人生というものです。

だから共に生きるとか、何かを共有する誰かを必要とするのです。ごく普通は家族がその役目を果たし、大人になると恋愛相手がそれに取って変わるのです。

どんな手段を使ってでも、孤独ではないと思いたいのです。孤独ではないと証明しようとして、人生は終わっていくのですね。

ところが残念なことに、自我は原理的に絶対的な孤独であるしかないのです。それを受け入れるしかないのです。

幽霊を怖がるのも、本当は孤独があるからなのです。愛する人にどれほど強く抱き締められたとしても、溶け合うことはできません。

辛いことですが、孤独に直面して、孤独であることを認めること。そこから変容が始まるのですから。

自我の私が孤独そのものであるとしても、自我が架空のものであればそれからやってくる孤独も実在のものではないのです。

そのことを見抜くことができれば、孤独を紛らすあらゆる馬鹿げた人生の浪費から足を洗うことができるはずですね。