公的自己というのは、他人との関わりの中で養われていく自分のことです。社会の中で生きて行くには、必要なものですね。
じゃあ、独り部屋で過ごしているときには、私的自己になるのかというとそんなことはなく、あくまでも公的自己のままでいるのです。
それはとても面倒臭いことになってしまっているのですが、あまりにも公的自己のことを自分自身だと強く信じ込んでしまったために、それが外れなくなったのです。
あまりにも長く一つの仮面をかぶっていたら、自分の素顔のことを忘れてしまったということに近いかもしれません。
この公的自己のことを、一般的には自我(エゴ)と呼ぶわけです。どうですか?あなたには、公的自己である自我の他にも私的自己というのがある、と言われてもピンとこないでしょう?
それもそのはず、私的自己のことは幼い頃に次第に忘れていった残念な経験をしているからです。
最初は少しずつ、私的自己から徐々に公的自己へとグラデーションのように移り変わり、気がついたときには私的自己は奥深くへと葬り去られたのです。
公的自己である自我にとって、私的自己を思い出すことは危険を伴うことになると感じるからでしょうね。
そんなこんなで、私たちはみんな自我として毎日生活しているのです。そして時々は私的自己を垣間見る体験をする人もいるのです。
私的自己とは、私たちの本質、純粋な意識、全体性、どんな呼び方でも同じです。それに気づかずに死ぬのは、本当に勿体ない。
いずれは公的自己が落ちて、代わりに元々の私的自己が出現することになるのでしょうけれど…。