観念から離れてみる

私たち人間が日頃どれほど観念やイメージの世界に生きているのか、それはもう驚くべきことになっています。

その中でも最も強く囚われてしまっているものの一つが罪深さですね。罪というのは観念でしかないのですが、それへのこだわりは相当なものです。

罪悪感から逃れようとしてどれほどの無理や我慢を自分に強いていることか。あるいは、相手をコントロールするのに罪悪感を利用したりもするのです。

親が子供を言いなりにしようとして、子供に罪悪感を感じさせるのは常套手段ですね。子供はまんまとその作戦の餌食になってしまいます。

瞑想状態において、消えてしまうものは全て観念であり概念であり、イメージと言ってもいいし妄想でも構いません。

つまりは実在しないということです。ありもしないものに対してひどく怯えてしまうということです。

罪が実在しないのに罪悪感を実際に感じるのは、罪という観念を実在するものだと信じてしまったことによるものです。

そう考えてくると、実在するものの方が圧倒的に少ないとわかります。例えば、感覚的なことで言うと、冷たい水に飛び込んだ時のスキッとした感覚とか。

爽やかな微風に吹かれた時の清々しさとか。あるいは、冷えた身体で温かいお湯にゆったりと浸かった時の温もる感じ等々は、実在のものです。

そうした身体の感覚は分かりやすですね。なるべく観念を使わないでいられる時間を多くして、実在の中で過ごせるとシンプルな生を堪能できるように思いますね。