人生劇場

今日、午後からのセッションに備えて準備しているときに、「ああ、これって人生劇場なんだ!」というニュアンスの気づきのようなものがやってきました。

今この瞬間、自分はこの人生を生きているけれど、実は人生という劇の一こまを演じている一人の役者であって、でも本当の自分はその劇を制作したプロデューサーとして満足げにそれを上の方から見ているんだと。

この感覚は理屈ではなくて、それがやってきた瞬間になんだかとても開放されたようないい気持ちになりました。すべてはすでに決まっていて、それを見ている自分はとても穏やかでした。

夜見る夢もそうですね。夢の中の登場人物としての自分はそれを本当の自分だと思っているのですが、実際は睡眠中に夢を見ているのが本当の自分なわけです。

夢の中の自分はそのことに気づかずに、いろいろ思い悩んでみたり、道に迷って焦っていたり、みんなから置いてけぼりをされたりと辛い目にあって余裕がないのですが、
どんな悲惨な夢を見ているときでも、本当の自分は暖かい布団の中で寝ているだけなのです。

この人生も寝ているときの夢も、どちらも自分が制作、脚本、監督、主役、キャスティング、すべてを担当しているという感覚は、とても深い安心感のようなものに包まれるという体験ができるみたいです。

人生に台本があるということは、役者による多少のアドリブは入る余地があるものの、基本的にはストーリーは全て決定しているわけです。

こういう話しをすると、運命論者だという烙印を押されるかも知れませんね。運命が決まってるなんて、つまらない考え方だと思ってる方もいらっしゃるかもしれませんが、本当はそうではないと思います。

本当に気に入っている映画は繰り返し観たりすることがあるように、ストーリーも結末も分かっていてもそれを楽しむことができるのです。

そして、もっとも大切なことは、たとえ人生のストーリーが決まっているとしても、心のあり方の詳細までは台本には書いてないのかもしれません。

台本には書き表すことが難しい本当の幸せは、役者の選択に任されているのではないかと思います。