成し遂げる

我々はこの世界に生きて、何にしろ何かを成し遂げるということにとても大きな価値があるというように思っています。

頑張りとたゆまぬ努力の成果として、目的としているものを成し遂げることは充実した人生を生きるうえではとても大切なことだと考えています。

確かに目的のない人生は味気ないものかもしれません。どんな目的であれ、それを成し遂げると自分が一つ成長した気持ちにもなれます。

ところが、この成し遂げるというのはその目的が具体的なものであればあるほど、それがエゴの成長に繋がって行ってしまうのです。

エゴは成し遂げることを肥やしにして、隆盛をきわめていくものだからです。練習して自転車に乗れるようになる。勉強して英語を話せるようになる。受験勉強をして希望の学校に入るなどなど。

このようなことを続けて行けばいくほど、エゴは益々力を蓄えていくことになります。しかし、成し遂げるにしてもその目的がより抽象的なものであるとすると、一概にエゴが勢いを増すとは言えなくなります。

それは例えば心の訓練をして、エゴを選択する代わりに愛を選択するという目的を成し遂げるとすれば、エゴは次第に衰退していくしかなくなってしまいます。

そして実はこの心の訓練は、成し遂げるという一般的なニュアンスではなくて、単に元々の本来の自分の姿である愛に気がつくということなのです。

私たちは、この世界で沢山のことを成し遂げた人たちを尊敬もするし、羨ましいと思ったりもしますが、しかし本当に大切なことは成し遂げることではなくて、真実に気がつくことなのです。

気がつくということは、本来成し遂げるのとは違って努力や経験を必要とはしないはずです。ところが、成し遂げることにとにかく価値があると思い込んでしまっているために、それなりの努力をしなければ気付くことだってできやしないと思い込んでもいます。

エゴを成熟させてしまう、この成し遂げるということを一度見直してみる必要があると思います。