選択が難しいと感じる理由 その2

昨日のつづきです。

自分は愛を選択したいのに、思ったように選択できないのはエゴがそれを妨害しているからだというお話しをしました。エゴに洗脳されてしまうと、間違った愛を選択して、それが正しいと思うようになってしまいます。

そういった場合には、決して心の平安を得ることはできません。愛はすべては一つという想念です。真実の愛を選択したいと望めば、それは必ず叶えられるはずなのです。

例えば、身体の具合が悪かったり何らかの病気の症状が出ていてその苦痛を取り去って欲しいときに、この状態を選択したのは自分だ、その結果として症状が出てきているのだと認識するまではできますね。

そのあと、この具合の悪さを私は選択しません、と唱えるときに自分の心にエゴの要素が含まれていると、その選択はうまく機能しないかもしれません。

自分の身体のことだけを何とかしたいと願うのであれば、それはエゴだからです。自分の苦痛だけでなく、すべての人の苦痛を選択しないという気持ちが愛に通じるのです。そういった気持ちでの選択が大切だと思います。

相手が何かに苦しんでいるときに、自分がこれを選択してしまいましたが、もう選択しませんと唱える際、相手の苦しんでいる姿を自分がこれ以上見たくないがために選択しないとするのは、エゴです。

ただただこの苦しみから解放されることを選択する、ありとあらゆる同じような苦しみを持った人も同様に開放されることを選択するという気持ちで選択することです。

エゴが選択したものを、同じエゴが選択しないと宣言したところで、それはその時のどちらの意思の力が強いかで結果は異なってしまいます。

選択する時の自分の気持ちができるだけ真実の愛に近くなるようにすることです。そうすれば、実はエゴがどんなに強大なパワーで選択してしまったことでも、愛によって選択するという力が負けるはずはないのです。

自分はエゴを選択してしまっていましたが、今日一日、愛を選択しますと宣言するのはとてもいいことです。その時に上で書いたことを是非意識してみて下さい。つまり、自分はなぜ愛を選択すると宣言するのか、それがエゴから発していないかどうか、できるだけすべてはひとつという気持ちで愛を選択することです。そうすれば、きっとうまくいくはずです。