愛の耳

先日、「愛の目」という題名でこのブログに書き込みをしました。愛の目で周りを見るようになったら、すべての人が美しいと思えるようになるというお話しでした。

今度は愛の耳で周りの音や人の言葉を聞くようになったら、どうなるかということを述べたいと思います。きっと、「愛の目」を読まれた方でしたら想像が付くのではないでしょうか。

私たちは普段、エゴの耳で人の言葉を聞くように習慣付けられています。エゴの耳は、まず聞いた内容が自分にとって不利益なものかどうかを第一に分析するようにできています。

そして少しでも自分に都合の悪い、自分にとって危険なものと判断すると、その言葉を発した人や団体などに対して、防衛の姿勢をとるように心を動かされてしまいます。

その後で、その内容をいろいろな角度から分析するのです。それは常識的なことかどうか、正しいことかどうか、実現可能かどうかなどなど。

つまり、最も大切な内容そのものの吟味よりも先んじて、自分を守ることを前提としてその内容を聞くのがエゴの耳の聞き方であるということなのです。

ですから、もしもその内容がほとんどすべての人にとって利益をもたらすようなことであるとしても、それが自分を傷つけるような恐れがあると最初に判断する可能性もあるわけです。

そうした場合には、どんなすぐれた内容であっても、その内容を否定したり、聞かなかったことにしてしまうかもしれません。

そして、エゴの耳で聞くときの人の言葉というのは、攻撃されている、理不尽きわまりない、などの思いを自分にもたらす可能性がとても大きくなってしまいます。

愛の耳はそういった判断をせずに、内容をそのまま受け取ることができます。自分にとって不利益かどうかの解釈をしないので、言葉を丸ごと受け入れることができるのです。

すべての人のどんな言葉にもきっと愛を感じることができるようになるはずです。だから、人との会話がとても楽しいものに変化します。

ビクビクせずに相手の言葉を受け入れられるので、誰とでも積極的に会話を楽しむことができるようになるはずですね。

もしも、急にエゴの耳が愛の耳に変化したら、自分は今まで何を聞いてきたのかと愕然とするでしょう。今まで騒音としか聞こえなかったような音でさえ、なんの抵抗感もなくただ耳に入ってくる音を聞けるようになるのです。

どんな音や言葉からも傷つけられないという毎日になるのです。きっと快適な毎日になることでしょうね。一日も早くそうなりたいものです。