心の平安

私たちは自分の心が平安でいられるためには、心がかき乱されるようなことが身の回りに起きない必要があると信じてしまっています。

自分や大切な人が病気になったり怪我をしてしまったりしたら、穏やかな気持ちではいられません。お金がなくなったり、仕事に行き詰ったりしたら不安にさいなまれてしまいますね。

しかし、そうしたことで心が平安でいられなくなってしまうというのは、実は当然の結果ではありません。本当は、真の心の平安はそういったこととは全く無縁であるからです。

もしも、今心配事がすべてなくなり、とても平安な心の状態であったとしても、明日また何か心配ごとが起きて平安ではいられなくなるかもと思ってしまうとしたら、もうその時点で心の平安はなくなってしまいます。

つまり、自分の外側に起きることが自分の心の状態を左右すると思っている以上、決して真の平安を得ることはできないということです。

したがって、本当に心の平安を求めるのであれば、自分や自分の身の回りで何が起きてるように思えたとしても、それと心の在りようは繋がってはいないということに気付くことです。

それは、自分の心の中には、何があろうとも永続的に平安でい続けている部分があるということにはっきりと気付くということであり、そこは本質的に不変なのです。

そしてその心の部分を見つけてそこから離れないように注意深くしていることができれば、いつだって心は平安でいられるのです。

心の平安でいる部分では、同時に委ねる心とも一つであり、無防備でいられる心とも一致します。ですから、意識的に委ねるということを実践し、なるべく無防備になれるように工夫することでも心の平安の場所を探し出すことが容易になるということです。

そして委ねる心や無防備でいる心とは信頼がベースにありますね。そしてそうした心は受身ではなく、常に与える状態でしかありません。もちろん与えるものは愛です。それが自分の心の平安な部分にいつもいられるようにしてくれる秘訣です。