真実

人は必ず心の軸となる信念や信条というものを持っています。その人の基本的な生き方や考え方のベースとなるものですから、そう簡単に変わるようなものではないのが普通です。

それは頑固だとか優柔不断だとかという、本人の個性にはあまり影響されないように思います。それだけ、しっかりしたその人の人格の土台であるとも言えるわけです。

そうした信念について、それと相反する事柄を主張することは一般にとても無理がありますね。例えば、ガリレオが地動説を唱えた時に、教会から迫害を受けることになってしまいました。

しかし、彼はめげずに「それでも地球は回っている」と言ったという逸話は有名ですね。このように、自分が信じていること、正しいと思うこと、そうした信念、信条に関しては、人は何があってもそれを主張し続けようとするものです。

自分の命が危ぶまれるような状態でさえも、自説を曲げなかったという歴史上の人物は沢山います。自分の場合にも、似たようなことが言えます。

自分がこうだと固く信じていることと正反対のことを言うという経験をしたことはありません。命の危険を感じるようなことがなかったということもありますが、それにしても思い出してもいつも自説を曲げたことはなかったのです。

単にイメージの世界でも、信念とは正反対のことを口に出して表現するというのは、考えられない感じがしてしまいます。

ところが、最近それを体験するチャンスがあったのです。しかし、その経験は思いの他冷静でいることができました。記憶のある限り、生まれて初めての経験だったのですが、心のうちで葛藤を感じるということもありませんでした。

きっと、自分の中にあったものが、単なる正しさや自分を防衛するのに役立つものとか、そういう範疇ではなかったからではないかと思うのです。

つまり、それは信念というより、心の愛の部分がそれを自然と認めている事柄であるために声高に主張する必要がなかったのだろうと考えています。

愛の部分とは、取り立てて主張する必要も、それを証明する必要もないんだと改めて気付いたのです。それが実在であり、真実の力強さなのかもしれません。