駄目な自分と駄目じゃない自分

私たちの人生とは、駄目じゃない自分というものを証明しようとして頑張ってみたり、駄目だということを証明しようとして挫折したりを繰り返しているものだと言えます。

この二つの相反する意識のぶつかりあい、攻防であるとも言えるのです。勿論個人差はかなりありますので、その戦いがとても極端に現れてしまう人の場合と、比較的やんわりとしたものの場合と、それぞれ千差万別です。

しかし誰にでもある共通のこうした心の葛藤というものがどこから来るのかということを知っておくことは、こうした無意味な戦いから手を引いて幸せの方向に行く助けとなるはずです。

事の発端は幼い頃の理不尽とも言える、自分は駄目なやつなんだという思い込みなのです。それを少しずつ毎日毎日せっせと強く立派な思いへと作り上げてしまうのです。

この自分への駄目出しは勿論そのことで自分を守ろうとする行為なので、そのことが確固とした信念として心の奥に沈殿していくわけです。

一方では、こんな駄目な自分のままでは嫌われて価値がないとして見捨てられてしまうかもしれないという恐怖を生み出します。

それは間違いなく命がけの恐怖感です。ですから、その人の生きる目的は今日を何とか生き延びるということになってしまうのです。

どうしたらより幸せになれるかといったことよりも、サバイバルそのものです。戦場でどうやって生き延びるか、それが最大の関心事となるのです。

だから本人は必死に駄目である自分を隠そうとして頑張り続けることになるのです。その目的は、周りから認められて存在意義をもらい、自分は生きていけるという安心をもらうことなのです。

しかし、安全を第一に目指すという人生は危険なところに自分はいるということを証明することになってしまいます。

それと同時に、自分に駄目出しをしたかつての幼い自分は駄目じゃない自分になってしまったら、駄目であることのメリットを享受できなくなってしまうので、駄目だという証明をしてくるのです。

こうしたことが繰り返されているということです。これでは、決して幸せにはならないことは自明の理ですね。何せ幸せを求めていないのですから。

あなたはしっかりと幸せを求めていますか?それとも駄目じゃないことを証明してサバイバルしようとし続けているのでしょうか?一度よく見つめてみることはとても大切だと思います。