思い入れの罠

確か中学生の頃だったと思うのですが、レコードを買って音楽を楽しむ習慣ができつつあるころでした。今でいうCDですね。

LPレコードというのは、CDの何倍も大きくて、表と裏があって面にホコリや傷がつきやすいために、とても扱うのに神経を使っていました。

やや潔癖が入っていたのかもしれないと思うくらいに、丁寧に扱って、指紋をつけるなどもってのほかくらいに思っていたのを覚えています。

一つお気に入りのレコードがあって、いつも聞いていたのですが、あるとき4歳上の姉がそれを貸して欲しいと言って来たので、快く貸してあげました。

しばらくして、返してもらったときに、レコードの面が傷だらけになっているのを発見して、怒りと涙まじりに訴えたのですが、元に戻るわけでもなく、そのレコードをそれ以来聴かなくなってしまったのです。

多分、音楽を聴くという本来の目的からしたら、レコードとしての機能を果たしていたかもしれないのですが、もう見るのも辛くなってしまったので、聴くことができなくなってしまったのだと思います。

一般的に、自分がとても神経を使って扱っているもの、丁寧にやさしく取り扱おうと心がけているものを、誰かに手荒く使われると本当に酷い気持ちになるものです。

もっと小さい時にも似たようなことはたくさんあったように思います。たとえば、傷がつかないようにやさしく使っているおもちゃなどを友達に貸したら、乱暴に扱っているように見て悲しくなったりしたことがありました。

こうしたことは、大人になった今でもあるかもしれません。この気持ちの根っこには、繊細さの欠ける他人の振る舞いに対する憎悪なんでしょうね。

これも誰かを悪者にしようと企む意識の一つの表現なのだと最近では判るようになりました。それでも、いやなものはいやですね。

自分の「思い入れ」が招く罠なのだろうと頭では分かっているのですが、いまだに克服できていないようです。

でも最近では、そんなに自分は変われないということも分かってきているので、相手のことも自分のことも責めないようにとは思うようにしています。