感傷的な気分

4月10日(日)は都知事の選挙の日でした。正直決して褒められないことですが、投票に行ったのはすごく久しぶりのような気がします。

投票所である、昔私の子供たちが通っていた近くの中学校の校庭には、満開の桜がすばらしい姿を見せてくれていました。

陽気も暖かくなったせいかもしれませんが、なんだか、3.11の地震発生以来初めてゆったりとした気持ちで外の景色を楽しむことができたように思います。

井の頭公園の桜も少し前に見に行ったのですが、そのときには花見のためにシートを敷いていた若者たちが、警備の人たちにやめるように注意されていたようです。

自粛というのは、自ら控えることを言うのだと思っていたら、他人から控えるように命令されてしまうということもあるのですね。

ちょっと見ていて可愛そうな気がしました。そんなこともあってか、ほぼ満開になっていた桜さえも思い切りよくその姿を披露することさえ自粛しているように感じました。

年に一回、桜を見ることができるのは今まで当たり前のことだと思って生きてきましたが、今はそうでもないかもしれないとどこかで感じています。

というより、穏やかな気持ちで美しい桜を見ることができるということも、当然ではないというような気持ちになったということかもしれません。

すぐに散ってしまう桜に、いつも名残惜しいなと思いながら、いいやまた来年になったら見ることができるんだからと思っていたのが、今は来年はどうだろうと思っています。

もう少し日本ていいところだと信じていたものが崩れていっているような、そんな気持ちがしているのかもしれません。

起きることがただ起きているだけだと分かってはいるものの、いつになく感傷的になっているのは何なのでしょうか?

個人的なこと以外で、こんなふうになったことは今までなかったので、少々不思議ですし心の中を興味を持って見ているところです。

人類史上に明確に残るような何かとても大きな出来事が起きてもいいように、日ごろから自分の心を見つめておくといいと思います。