才能豊かな人

この世界には、すばらしい才能に恵まれた人がたくさんいます。芸術を創造する人や、多くの人たちを先導する能力に長けた人、新しいものを発明できる人など。

エジソンは確か、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である。」と言ったらしいですが、そうやって努力できるということ自体が才能だと考えることもできます。

ちなみにエジソンが言いたかった本当の意味は、1%のひらめきがあれば、99%の無駄な努力をしなくてもいい、ということだったらしいですが…。

それはさておき、他人の才能ほど羨ましいと感じるものはありません。基本的には、自分の能力と比較して、それよりも上だと感じると羨ましくなるものです。

歌が上手に歌える、楽器が弾ける、絵画を描くことが得意、努力家、集中力が高い、IQが高い、そのほか何であっても自分より才能があると思うと、その人を恨めしく見てしまいます。

上を見たらきりがないということは百も承知しているのですが、この人はすごいなとただ感嘆しているだけならいいのですが、どうも自分と比べて劣等感まで持っていくクセがありますね。

子供のときに、「何でもいいから一番になれ!」と言った先生がいましたが、何であろうと一番にはなれないのですから、むかつきます。

このように、人と比較することで自分を否定し卑下する傾向というのはなかなか変わらないものです。というか私の場合、一生変わらないと思っています。

一般的には、誰であれこの世界に一人しかいない特別な存在なんだから、比較などしないで自分を愛するようにしようと、もっともらしい考えを植えつけようとするかもしれません。

ですが、こういうことすら私はもうやめようと思っています。逆に、開き直って人と比較して自己嫌悪になるクセを持ってしまっている自分というものをなるべく受容してあげようと。

劣等感を持っていやな気持ちになる自分を受容するということです。駄目だなと思っている自分のことも、そんな自分など受容できないと感じる自分さえも、丸ごと受容しようということです。

何だっていい、どんな自分だっていいから、すべてを受容してしまえ~~~!ということです。破れかぶれで生きていくのも、なかなかオツなものですよ。

負け犬の遠吠えのようにも聞こえるかもしれませんが、それも合わせて受容してしまえばいいのですから、受容は最強です。