分からないことを認め、信じることを止めてみる

先日初めての方からお電話がかかってきて、過去世退行催眠を試してみたいのですがということでした。

通常ですと、すぐにそこで予約の日時についてお聞きするのですが、その方は私自身が過去世というものに対してどんな信念を持っているのかということについて、聞いてきたのです。

私はそれについて、正直に答えるしかできないので、普段どおり、輪廻転生というものが本当なのかどうか、私にはわからないし、こうだという信念も持っていないとお伝えしたのです。

ところが、その方は仕事としてやっているのに、そんないい加減な考えでは問題があるということで、繰り返し不満をぶつけてきたのでした。

私の本音は、その人の何らかの問題がそれなりに解決すればそれでいいので、それ以上の思い入れはないときっぱりお伝えしたのですが、何度も食い下がられて結局40分近くも電話を切らせてはもらえませんでした。

久しぶりに珍しい経験をさせてもらったのですが、人は自分が知らないことについて、誰かに確証を与えてもらいたいという気持ちがあるものなのですね。

その方だって、本当のことを言えば、見ず知らずの私が何も真実について、分かるはずもないと知っているはずなのに、それならそれを仕事にするなということなのでした。

私たちが本当に分かっていることは、自分は何も分からないという一点だけなのです。分かっていたい、できるだけ知っていたいと思うのは、人間の持っている欲望なのかもしれません。

それは、自己防衛本能から来ているものとも言えます。でも残念ながら、本当に何一つ私たちには分からないというのが真実なのです。

だからこそ、この世界のあらゆることは信じるか信じないかということで出来上がっているのです。

何も分からないことをしっかりと認めたうえで、信じることと信じないことの両方から離れていること、それこそが生きる極意なのかもしれません。

自分の人格を信じることを、一時的にでもやめてみることによって、見えてくるものがあるのではないかと思います。