相手によって態度を変えない

学校を卒業して社会人になったとき、私は自宅から徒歩で通える距離のところにある、某企業に勤めていました。

就職活動をしているときに、自分が希望する業界などはまったくなくて、何をしたいのかも分からないまま曖昧な気持ちで会社選びをしていたのです。

何と驚くことなかれ、就職先の企業の条件として重要だったのは、通いやすいこと。結局、その目論見がうまくいって、そこそこの上場企業でしかも徒歩通勤できるところに入社したのでした。

電車にも乗らずに、しかも設計の仕事だったので、ほとんど社内にいるため、背広を着ることも滅多になくて、会社の作業着を着て、毎日サンダルで家と会社の往復でした。

一般的な若い人たちからしたら、退屈で刺激の少ない毎日というように見えてしまうでしょうね。けれども、自分にとっては、こんな便利な環境はそうそうないだろうと思っていました。

ところが、一つだけちょっと困ったこともあったのです。それが、今日の本題に繋がることなのですが、自宅から会社までは歩いて15分くらいで着いてしまうのです。

その歩いている間に、デレっとした家の顔から、真面目な会社員の顔へと変身しなければならないことに気づいたのです。

何か考え事をしていて、気づいたときにはもう会社に着いていたということがあったのですが、そのときは少し焦りました。気持ちがシャキっとなっていなくて、このままでは仕事ができないと感じたからです。

つまり、自宅にいるときの自由気ままな自分と、職場で挨拶したり、仕事をするときのキリっとした自分とを明確に使い分けていたのです。

そうしないと仕事の効率が悪いということもあるかもしれませんが、本当の理由は人との関わりに支障をきたさないための配慮だったのです。

特に社会人になりたての頃などは、自分が一番年齢が下ですから、すべての職場の人に対して敬語で接しなければならなかったのです。

これに気づいたときには、一度電車などに乗って、自然と気分を変えられるほうがいいということもあるんだなと思ったのです。

いずれにしても、自分は相手によって、意識的に自分の態度を変えていたということですね。そのとき、何だかすごくつまらない人生のように感じたのを覚えています。

最低限度のルールやマナーを守るのは、いたって当然のことと思うのですが、本質的には誰が相手であろうと自分のままで向き合うことができたら、気持ちいいはずです。

年齢を重ねてくると、確かに少しずつそのようになってくるものです。それでも、相手によって自分の態度を必要以上に変化させていると気づいたときには、なるべくこのままの普段の自分に戻るように心がけています。

いつも、誰が相手であっても自然体で、自分らしく接することができるといいのでしょうね。