いつもと違う脳で書いています

昨日は珍しく、図書館に行って数冊の本を借りてきました。それを先ほどまでずっと読んでいたせいなのか、今何を書こうかと考えてもいつものように浮かんできません。

やはり普段読まないような本を読むと、脳の中がそれに引きずられてしまうのかもしれませんね。いつもと違う脳ミソの部分を使ったということなのでしょうか。

とても面白い本で、一言で表現すると痛快無比とでも言えばいいのか、小さいことで気分を害している自分を笑い飛ばせてしまえる感じになりました。

けれども、そうした本を読んでいても以前と違うのは、常に自分の思考を見ている別の思考の部分があるのを感じるのです。

その本の内容は、著者の実体験についていろいろと書いてあるのですが、それを読んでいても必ずどこかでそうしたことがただ起きただけなのだということを忘れずにいます。

著者はノーベル物理学賞を受賞した天才なのですが、これほどまでに魅力的な彼という人物がいたのだなと感嘆します。

しかし、その一方でそれこそが思考の産物であって、本当はそうした人物がいたわけではなくて、ただそうしたことが起きていたということだと。

この感覚は間違いなく、ここ数年強くなってきたものです。それが少しずつ定着してきているのだと分かります。

これは本当に気楽になれるのです。この現象界においては、確かに責任というものが発生するのですが、その根っこでは責任感こそ思考だと分かります。

それはとてもとても深い安堵を感じることができます。何も間違ったことはなく、何一ついいも悪いもなく、探求して出会えたものこそが本質の自己だったなんて、これ以上のハッピーエンドはないですね。