私たち自身が「命」

 

昨日が誕生日だったのですが、この生まれた日というのは単に母親の胎内から肉体が出てきた日ということであって、まだそのときには自分はいませんでした。

だから、本当の「私」の誕生日ではないということですね。「私」の誕生は生後2~3年経ってから、しかも徐々に生まれていくものなので、この日と限定することは難しいのです。

人によっては、確かにあの日あの時に、それまでとは違う「私」の感覚がやってきたと記憶している場合があるかもしれませんが、それはきっと稀なことだと思います。

多くの場合、気が付いたら「私」がいたというのが実情でしょう。また、厳密に言えば胎内で卵子が受精したときが本当の誕生日だと言えるかもしれません。

そのときには、ほぼ同時に死んだ誰かのエネルギーも入り込んでくるのですから、そのエネルギーにとってみれば、その瞬間が新しいこの世界でのスタートとも言えるわけです。

そのときにこそ、新しい命が芽生えたと思ってもいいのかもしれません。私たちは、命を授かるとか、命を奪われると言った表現をしますね。

けれども真実に目を向けるなら、私たち自身が命そのものだということです。勿論永遠の命です。だから、命を吹き込まれたのは、単に私たちの姿をしたものだったのです。

命という我々が、この地上であらゆる体験をするために、植物や動物や人間の中へと投げ込まれたと考える方が真実に近いのではないかと思うのです。