真実ほどの皮肉はない

私は、昔から一芸に秀でた人のことを羨ましいと思っていました。特に、楽器の演奏が上手にできるのがとても羨ましかったのです。

小さい頃にオルガンを習っていて、大人になってから弾きたい曲が顕われると、何とか弾けるようになりたいと思って結構熱心に練習するのです。

といっても、勿論ド素人のレベルなのですが…。それで、ある程度弾けるようになると、それまで何百回?も練習したせいもあってか、飽きてしまうのです。

せっかく弾けるようになったのに、飽きてしばらく弾かずにいると、もう弾けなくなっていて、それで嫌気がさして弾くこと自体をやめてしまうというクセがありました。

だから物事を究めるというところまでやりきったという試しがないのです。それはきっと、本当にはピアノを弾くということに興味がなかったのだと思うのです。

少しの興味は確かにあったし、気に入った曲を弾けるようになったらさぞ気持ちいいだろうという思いで、頑張って練習に励んだということです。

だから、自分なりに目的を達成できたと思った瞬間に、弾くことへのエネルギーが薄れてしまうということなのでしょうね。本当に好きなことであれば、また別の曲を弾こうと思うだろうし…。

で、この年齢になってようやく飽きないと感じることに出会えたのです。それが真実なのです。真実は究めようとすれば、必ず逃げていくと気付けたことも大きかったのです。

究めようとすることもなく、さりとて飽きることも決してなく、自分自身を超えた知覚することもできない何か、それが真実なのです。

真実は、目的ではないので自分が成就したり達成するものではないのです。その自分が消えることでしか、真実はやってこないという、これ以上の逆説、皮肉はありませんね。