受け身の存在として…

あなたのまわりで起こっていることすべてに
ただ受け身に敏感でありなさい。
水に映る光
河の流れ
騒音–
子供たちの遊ぶ声、笑い声、クスクス笑い–
ただそこにいなさい、受け身の存在として
自分をひらいて
耳を澄ましながら
ただ見ている
何も考えることなく–

by osho

歳を重ねてくると、身体のあちこちがギクシャクしてきて、ときには痛みが出てきたり、動きが緩慢になったりするものです。

けれども、そうした不都合なことばかりではなく、若い頃には決して感じることのなかった穏やかなマインドでいられることも増えてくるのです。

私は、どちらかというと若い頃から何事にも積極的になれなくて、いつも向こうからやってきた人生の中でどうにか生きてきたという感覚なのです。

自分の力で、自分の人生の道を切り開いてきたという思いがまったくないのです。だから社会の一般的な教え通りには行かない自分を歯がゆく思ってもいました。

能動的で活動的な人を見ると、間違いなく妬む気持ちもありました。そんな消極的な自分でも、それはそれで仕方ないなという思いがあったのです。

ところが、この年齢になってくると、どうやら消極的というよりも受け身である自分の性分が、無理なく自分にマッチしていることに気づくようになったのです。

若い頃には否定的なニュアンスしかなかったのに、今では受け身であることの清々しさを少しずつ感じられるようになってきたのです。

受け身であるとは、受け入れるということであり、さらに言えば受け入れることすらも意識しない状態もあるのですね。

ハートが開くとはそういうことなのですね…。