正しさを拠り所にしない

先日あるテレビ番組で、かつて体罰による教育?で話題になった「戸塚ヨットスクール」について、ご本人を招いて議論するというのがあったのです。

正直びっくりしたのですが、実はもう数十年も前に閉鎖になっていると思っていたのですが、まだやりつづけていたのですね。

ご本人によると、体罰で服従させることでしか、人を立ち直らせることはできないなどの信念があるらしいのです。

その信念が非常に頑なであって、それ以外の意見をまったく受け入れずに否定するのです。

私にとって、人が独自に持っている信念や正しさの中身については、人それぞれなのでどうでもいいと思っているのです。

それよりも問題となるのは、それ以外はすべて正しくないとしてしまう石のように硬いマインドなのです。

正しさを身にまとってそれを拠り所にしてしまうと、必ずや周りに本人にとって正しくないと思う人たちが集まってくるのです。

その理由は簡単です。元々、正しさというのは正しくないということとの比較の上に成り立っているものなのです。正しさだけでは成立しないのです。

だからこそ、自分の正しさを際立たせたい思いが強ければそれだけ、周囲に正しくない存在が必要になるのです。

そして自分が周囲を否定する分だけ、周囲から否定されるということが起きるのですね。

あなたが持っている正しさにはどんなものがありますか?それがどんな正しさであれ、生きる基準をそこに置く代わりに、清々しさをどれだけ感じているかを見るようにするといいのです。

正しさは人を岩のようにしてしまいます。できるだけ柔らかく、水のようにどんな形にもなれるような柔軟なマインドの方が生きやすいはずですね。