自分しかいないという感覚

子供の頃からそうだったかどうかは定かではないのですが、私は以前から究極的には自分しかいないという感覚を持っていました。

変な話しなのですが、毎日さまざまな人たちとともに生きているのに、結局は自分の存在だけが確かだという感覚。

敢えて言うなら、自分以外の人たちは私の夢の中の登場人物のようなもので、誰も実は存在しないのだという感覚に近いです。

こんなことを人に話したところで、誰もまともには取り合ってくれるはずもないし、気分を悪くされるだけだと思っていたので、口に出すことはありませんでした。

これが私の自我の思い上がりであることは今となっては明らかですし、私は数多くの人々の中のほんの一つの自我であるということも知っています。

けれども、もしも自分が自我ではなく全体性である場合、自分しかいないという感覚は間違ってはいないのです。

全体以外のものはないので、全体性としての自己はそれが全てであるため、それしかないというのは真実なのです。

結論としては、自分しかいないという感覚は、自我との同一化をしている場合は間違いで、自我が消えて全体性であるときには正しいということですね。

私は今現在も、あるときは自我としてそれを感じつつ、一方では全体性としてもそれを感じるのです。その二つがダブっているということですね。