自分の変容を受容する

Osho の言葉で次のようなものがあります。

『知識は情報の収集、蓄積だ。学ぶことは、変容されることに対して呼応する用意があることだ。』

自分を癒そうとして、問題を解決したくて、その謎を解きたくて、繰り返したくさんの本を読んでみたけれど、何も変化しなかったという人は結構います。

それは知識を得るというレベルのことだったからですね。情報を収集してそれを蓄積することで、何か分かったような気にはなるのです。

ところが自分の内側を見てあげると、どれほどの変化も見出せないのです。それは何も学んではいなかったからということ。

自分自身が変容されるということに対して、どれほどの心の準備ができているかに気付いていなかったということですね。

変容してしまうことへの準備が整った時、外部から入ってきたものが単なる情報ではなく、自分の中で生きてくるのです。

学ぶということはそういうことだと osho は言っているのですね。では、変容される準備とはどうやって整うのでしょうか?

セラピストを長年やっていても、本当のところよく分からないのです。それなりの時期がくると、自然と向こうからやってくるというのが一番近いかもしれません。

一つあるとするならば、自分のやり方で納得するまでやってみて、それでもうまくいかなければ諦めるのですが、その諦めが結構大事な気がします。

本当に諦めたら人は戦うことを放棄してしまうので、外からやってくるものを受け入れやすくなるのです。

その状態こそが、自分が変容されることに呼応する用意ができたということかもしれませんね。