兄弟げんか

兄弟や姉妹の喧嘩では大抵は年上の方が勝つわけですが、一方負けたほうの年下の子はお母さんに泣きついていったりするものですね。

そんな時に、母親がこの子に言ってあげる言葉の中で、「お兄ちゃん(おねえちゃん)が悪いねえ!」というのがあります。

実際の喧嘩の内容など見ていないにも関わらず、負けて悔しくて救いを求めてきた子に対して、そんな言葉を言ってあげるのはなぜでしょうか?

それは、母親はそれがその子が納得して安心させてあげられる一番の言葉だと知っているからです。つまり、あなたは悪くない、だけどあなたを泣かせたお兄ちゃん、おねえちゃんは悪いね、と言ってあげることで、その子の気持ちは落ち着くのです。

これはほんの一つの例に過ぎませんが、これと同じように我々は自分以外の誰かが悪者であることで安心できるのです。

特に自分になんらかの不利益を与えたような人がみんなから悪者扱いされることを好む傾向にあるということです。

なぜなら、自分は決して悪者ではないということを分かってもらえるからですね。その上で、にっくき相手が悪者として裁かれるわけですから、願ったり叶ったりということです。

この気持ちこそが、自分と人との間に罪を置いて、その間の隔たりを確保しようとするエゴの作戦であるわけです。

だからこそ、我々は自分の周りに適当にいやな人、悪い人がいるように望んでいるのです。そして望んだことが現実として現れるわけです。

それは親しい家族の間でも、恋人同士でも、友人同士でも、ありとあらゆる人間関係に対しても言えるのです。

自分は一体周りの人たちに対して、どんな罪をかぶせようと企んでいるのか、一度じっくり見つめて見ることをお勧めします。それこそが自分の心の中のエゴの企みそのものなのです。