感じる心 その2

昨日のつづきです。

何かを美しいと感じる心は誰の心にもあり、それは愛を感じているのと同じことだという事を書きました。ですから、不安や恐怖を強く感じているときには、何を見てもきっと美しいとは感じなくなってしまうのだろうと思います。

楽しいと感じること、嬉しいと感じること、喜びを持って生きること、そうしたことはすべて、上記の何かを美しいと感じるのと全く同じように、みんな愛を感じているのです。

同じ「楽」という漢字であっても、楽しいのと楽なのは少し意味が違います。というのは、自分が肉体的に楽でなかったとしても愛を感じていられることは可能だからです。

それは例えば、誰かのために愛をもって何かをしていて、自分の身体がきつくなってしまうことがあるかもしれません。それでも愛があれば、決して不満な気持ちにはなりませんね。

また逆に言えば、楽な状態にいるからといって愛を感じているとは必ずしもいえないということです。ジャグジーに浸かりながら、よく冷えたシャンパンを飲んでいい気分になったとしても、誰かを憎んでいることを思い出したとしたら、その瞬間愛を感じることはできません。

敢えて言えば、身体ではなく心が楽であるのなら、それはやはり愛であるとは言えるかもしれませんね。

心が楽ということは、不安や恐れや怒りがないということが言えそうだからです。心が楽とは、平安な心の状態というニュアンスと通ずるところもありますね。

また楽という文字については、快楽という言葉があります。快楽と言ったときには、大抵は肉体的な快適さや麻薬的な心地よさというものを連想させます。

ですから、そこには直感的に愛があるようにはあまり思えません。こうして考えてみると、やはり愛は身体とは何も関連しない心の中でのことだということがあらためて分かります。

自分の心のうちで、どのようなことを感じているときこそ、愛の状態になれているのかということを日ごろから分かっているといいと思います。そしてその逆である愛でない状態についてもしっかり把握しておくことが大切ですね。