都合の悪い事

一週間ほど前に、都合の悪い人というのは、自分自身の都合の悪い部分を否認して、それを外側に投影した相手のことだということを書きました。

自分自身の都合の悪い部分とは、自分で認めたくない自分の部分ということです。それは例えば、幼いときに両親が自分にやさしくしてくれないと悲観して、本当の親は他にいると思い込もうとするようなものです。

現実が辛すぎて受け入れがたいようなことが、都合の悪いことなのです。最愛の人を失った直後などは、それを認めることができないなどはよく聞く話しですね。

このように自分の身に起こった辛く苦しいことが、自分にとって都合の悪いことであるのは明白ですが、それとは別に自分自身についての認めたくないことも都合の悪いこととして人は沢山持っています。

例えば、自分は弱くて意気地がない、全く駄目な人間だというような思い込みは、自分にとって都合が悪く、自分自身でそのことを認めたくはないわけです。

同性愛の人がそんな自分を受け入れられずに、大人になってもずっと悩み続けている場合もありますね。そういったことも都合の悪い自分ということになります。

この都合の悪さというのは、一口で表現すれば認められるかどうかということです。そして、認めるかどうかというのは、その判断の元となるある基準があるわけです。

その基準というのは、一般に正しいか正しくないか、あるいはいいか悪いかという見方であるのです。したがって、物事を解釈するときに、正不正、善悪といったことをベースに判断することをやめてしまえば、都合の悪い自分というのがなくなっていくのです。

それが自分を否認しない、つまりどんな自分でも認めることができるという状態なのです。それは、どんな自分でも許すことができるということと全く同じですね。結果として、自分の罪悪感を手放していくこととも一緒です。

みなさんは、都合の悪い自分をどのくらい持っているでしょうか?それを洗いざらい表面化した上で、一つひとつを許して認めることができたら人生はこの上なく幸せなものになると思います。