このブログでは、すでに幾度となく与えることの重要さについてお話ししてきました。心の平安を得て、満ち足りた心になるためには、与えることが大切だということでしたね。
そうはいっても、我々は与えるということに慣れ親しんでいるわけではありません。与えると減るという概念が強いからです。
我々は知らぬ間に、与えるという事と犠牲を強いるということがあたかも一対であるかのような感覚を持ってしまっているかもしれません。
いくら頭で違うと分かったとしても、その癖はなかなかしぶとく付きまとってくるのです。したがって、与えるといっても一体自分はどこまで与える事が出来るのだろうかと具体的に考えてみることはいいことかもしれません。
毎日の自分の生活に支障が出てしまうような与え方をしたいとは誰しも思わないはずですね。 本質的には、与え続けることで初めて本当の愛に目覚めることができるのですが、それは理想的な話です。
より現実的に考えたときには、おのずと自分ができる範囲というものがある程度見えてくるはずです。
極端な例を言えば、あるボランティア活動をするために大切な仕事を退職するということはないでしょう。そして勿論そんなことをする必要はありませんね。
与えることのできるレベルというものがその人の現在の状況によってある程度決まってくるのですが、それはその人が自己犠牲を感じないで済む範囲ということになります。
自己犠牲を強いてしまうと、今度は与えるという愛の行動ではなくなってしまうからです。決して無理をしないことだと思います。
何でも100%でないと気がすまないという人の場合には、与えようとして無理をすることで結局与えられずに終わってしまうということになってしまいます。
理想を追わずに、与えることが続けられるように自分に猶予を与えてあげられるといいと思います。